浅き夢見し(2)オーストラリア

 「会長がグライダーに乗れないなんてクラブの沽券に拘わる」。そういわれてオーストラリアに誘われた。ライセンスが不要な国だから会長でも飛べるとその人が念を押す。
沽券などドウでも良いが、確かめたいことがあった。空が自由であることと、だからこそ自己責任の世界であるということだ。日本のグライダーで感じる違和感が、世界のグライダーでも同じなのかを確かめたかったのである。
もう1つ確かめたいことがあった。関宿では二言目にグライダーとヘリコプターは違うと言われたことだ。確かに道具としてグライダーとヘリコプターは違う。しかし空にとって、その違いはささやかなものである。彼の国の人が、違うということに力点を置くのか、同じということに力点を置くのか知りたかったのである。
そんなわけで、オーストラリアはタクムオールというところに、クラブの皆さんの尻について出かけることにした。
結論から先に言うと、空はやっぱり自由であり自己責任の世界であった。初年兵も古参軍曹も無く、思考停止も強要はされない。ヘリコプターもグライダーから特別に区別されず、関宿の日本語より、たどたどしい英語のほうがはるかに通じたのである。安堵して帰ることができた。
理屈は理屈である。道具としてヘリコプターとグライダーには違いがある。「ストール」する世界をオサラバして永かったから、無意識に空の禁忌に触れるのではないかと心配だった。あげくスピンさせてしまうのではないか。
案ずるより生むが易い。まあ予定の1週間でソロになれたら良かろうと呑気に構えていたのだが、初日にストールとスピンが終わって次の日にはソロを通告された。1時間24分、中に1分、6分、7分というフライトがある。発航は7発。
自分で責任が取れるだろうとの判断で、それが知りたくてのオーストラリアだから不服は無いが、正直いえばビックリした。口では偉そうなことを言ってはいても、やっぱり日本人であったのだ。自己責任といいながら、誰かにオンブしたい癖がある。恥ずかしい。
ソロに出たら高度1,000m。それをこなしたら5時間を飛べという。残念ながらサーマルをどう探していいか分からない。分からなくてどう5時間を浮いていたらいいんだろう?
オーストラリアの空はズブシロにも親切である。犬棒式に飛んでいても案外サーマルに突き当たる。いたるところでバリオが鼻歌を唄い、まるで心配ない日もあった。そんな日に飛べば5時間なんて忍耐だけだ。ご丁寧に6時間25分も飛んで叱られた。だけど前の日、4時間58分で笑われた人がいたんだからしかたない。

5時間を飛んだからといってサーマルの見つけ方が分かったというわけではない。なぜそれがそこにあるのか解らないのだから、単なる僥倖に過ぎない。腕とまったく関係がない。ここが口惜しいところだ。
5時間を飛んだら次は50kmだと周囲が騒ぐ。迷惑だなあと思いながら50kmを飛んでしまった。これも行きがかりの運に過ぎない。何となく消化不良が残っていた。
けれども分かったこともあった。グライダーはスポーツだ。しかも格闘技に近い。メイッパイ頑張れば、爽快な余韻が体中に残る。こりゃあ良いもんだ !

>>浅き夢見しへ戻る>>