(2)グライダーとハンググライダー

 グライダーとハンググライダーは血を分けた兄弟で、先に生まれたからハンググライダーが兄である。歴史のテンポからすれば兄より御先祖様かもしれない。


© Jarek Tuszynski / Wikimedia Commons / CC-BY-SA-3.0 & GDFL

空気より重い飛行器で初めて飛んだのはオットー・リリエンタールだが、彼の飛行器はハンググライダーであった。1891年のことである。リリエンタールが偉いのは羽ばたきをやめたことだ。それまでの先人達は鳥を手本にしたが、鳥と羽ばたきを切れなかったのだ。
リリエンタールは羽ばたかない鳥もあることに気が付いて、同じようにすれば良いと考えた。滑空するのである。台の高さが2メートルで、飛行距離が7メートルだったというから滑空比は3.5ほどであろう。翼の面積は8平方メートルであった。
遠くに飛ぶためには台を高くしなければならない。リリエンタールは基礎の直径が70メートル、高さが15メートルの山を築いて2,500回も飛んだ。
高いところから飛ぶ。これがハンググライダーの習性だ。だから、いまでもハンググライダーは山に生息し、高いところから飛び出して、安全な低いところに降りる。分類すれば山鳥になるのだろう。
飛ぶためには走らなければならない。飛行器を持って走るには、道具が軽くなければならない。初めて飛んだリリエンタールのハンググライダーは、重さが18キログラムしかなかった。いまのハンググライダーもだいたい20kg前後で、同じくらいになっているのは人間に合わせた結果だろう。もし50キログラムも持って走らなければならなかったら、まるで徒刑囚だ。とても2,500回も飛ぶ気にはなれなかったかもしれない。
リリエンタールが発明したもうひとつのことは、操縦をすることだ。後になって安定のために尾翼を付けたが、体重を移動してバランスをとる方法をあみだした。
実はこの体重移動による操縦が、グライダーといちばん違うところで、乗る人はぶら下がる。名のとおりハングなのである。当然いまのハンググライダーはリリエンタールのハンググライダーより工夫がされ、ストラップでぶら下って体重の移動範囲も大きく操縦し易いし、離陸すれば寝袋のようなバッグに納まって長時間の滞空ができる。
空を滑って降りるだけで満足できるほど人間は慎ましくない。エンジンを載せて飛び続けたいと思う。こうなると機体は重くなるしとても担いで走るわけにはいかない。体重をあちこち動かすだけでバランスをとるなど、悠長なこともしていられない。
ライト兄弟はコンドルが翼をひねって空で安定を保つことを発見し、操縦に応用した。特許にしようと頑張ったが、どこにも抜け道を見つける人はいるもので、たちまちエルロンが発明された。原理は翼を捻るのと同じで、強度も確かでしかも安全確実に作れる。
グライダーは翼によって操縦する飛行機になった。足に替わって車輪が着いた。
「ハンググライダーは始祖鳥で、グライダーはカモメってとこかな」カーノ氏が何気なく呟いた。
「いや、翼の本質的な構造からすると、コウモリとカモメである」。理論になるとやたらうるさいジュング氏がすかさず反論する。
「翼型はキャンバーしていて上下面がある。コウモリではないやっぱり始祖鳥だよ」。カーノ氏も簡単には引き下がらない。彼は相当のハンググライダー経験があるのだ。
「それはそうと、パラグライダーだって正式にはハンググライダーだぜ。あれ翼を捻って操縦するよ」。クラブカーの議論は尽きない。

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